私はおそらく、もう少しケーベルさんに接近する機会が多かったかもしれない。
ケーベルさんがなくなった時に私は昔の事を思い出してせめて葬式にでも出たいような心持ちがした。しかしやっぱりそうしないほうがいいと思ってやめてしまった。どこへ見舞い状を出す先もないと思う事がさびしかった。
自分のような、みずから求めて世間に義理を欠いて孤独な生活を送りながら、それでいて悟りきれずに苦しんでいるあわれな人間にとっては、ケーベルさんのような人が、どこかの領事館の一室にこもったきりで読書と思索にふけっているという考えだけでもどんなに大きな慰藉《いしゃ》であったかしれないと思う。その人がもうこの世にいないと思うのは、なんだか少しさびしい。
ケーベルさんに笑われた九円のヴァイオリンは、とうの昔にこわれてしまったが、このごろ思い出してまた昔の教則本をさらっている。それにつけて時おりはあの当時を思い出す。そうすると、きっと蝉時雨《せみしぐれ》の降る植物園の森の裏手の古びたペンキ塗りの洋館がほんとうに夢のように記憶に浮かんで来る。
[#地から3字上げ](大正十二年八月、思想)
底本:「寺田寅彦随筆集 第二巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
1947(昭和22)年9月10日第1刷発行
1964(昭和39)年1月16日第22刷改版発行
1997(平成9)年5月6日第70刷発行
入力:(株)モモ
校正:かとうかおり
2003年6月25日作成
青空文庫作成ファイル:
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