宝石の個性を並べてもらいたいというのが吾々のようなものの勝手な希望である。それには毎年一回の展覧会は少し多過ぎる。五年待ってもいいから、もう少し興奮するような展覧会がほしいと思う。出来ない相談とは知りつつも、毎年の展覧会を見る度にそう思わないことはないのである。
これらの不平はみんな、つまり自分がだんだん老耄《ろうもう》して来て頭が古くなり、感激性が麻痺したせいかもしれない。しかしそうばかりでもないかもしれないと思うことは、一体二科会とか美術院とかいう展覧会が十年も二十年も継続しているという不思議な事実自身で証明されているような気もする。これは少し変った言い分のようであるが、しかし一般に云って、同じ団体がそう永く無事に続くということ自身が沈滞と硬化とを意味する場合が多い。これは政党でも学術団体でも、芸術団体でも同様である。どこでもやはり時々「野獣の群」が出なければ新しい生命の叫び声は聞かれないのではないか。尤もここで「野獣の群」というのは破壊的な乱暴者でもなければ、無意味に変態な病的のものを求める猟奇者でもないことは勿論である。現在の「きたない絵」を描く人達は古い伝統を離れようとして
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