の物語を聞いているうちに震《ふ》り出したのであった。その津田君は今年はもう二科には居なくなったのである。
 回顧室に這入《はい》るとI君に会った。「どうも蒸暑い」というとI君は「絵もアツイ絵ばかりだから」という。
 この室のものはさすがになつかしいものばかりである。斎藤|豊作《ほうさく》氏の「落葉する野辺」など昔見たときは随分けばけばしい生ま生ましいもののような気がしたのに、今日見ると、時の燻《いぶ》しがかかったのか、それとも近頃の絵の強烈な生ま生ましさに馴れたせいか、むしろ非常に落着いたいい気持のするのは妙なものである。坂本|繁二郎《はんじろう》氏のセガンチニを草体で行ったような牛の絵でも今見てもちっとも見劣りがしない。安井氏のを見ると同氏帰朝後三越かどこかであった個人展の記憶が甦《よみがえ》って来て実に愉快である。山下氏のでも梅原氏のでも、近頃のものよりどうしても両氏の昔のものの方が絵の中に温かい生き血がめぐっているような気がするのである。故関根|正二《しょうじ》氏の「信仰の悲み」でも、今の変り種の絵とはどうもちがった腹の底から来る熱が籠っていると思われる。すべての宗教には陰惨なエ
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