ある。ルノアルなどは、ちょっと見ると気楽に描いているようだが、また恐ろしく神経を使っているようにも思われるのだが、横井氏のはそれともちがう。
椎塚《しいづか》氏の綿密な静物が私に与える感じは、丁度グロテスクの感じと実質的に同じ感じである。それは必ずしもグロテスクな題材を取扱ったものでなくても、そうである。
これと反対に、例えばザッキンの妙な人形の絵など、随分形式的にはグロテスクに出来ているが、感じの内容には、どこかある明るさと愉快さがある。
ロオトの絵がある。どこがいいのかよくは分らない。この人のに似通った日本人の絵も沢山あるようだが、でも、この人のにはどこかに、こせこせしない、のびやかなところがあるような気がする。少し思い切って遠く離れて見ると一層そんな気がする。
アスランでもビッシェルでも、出来不出来は別として、やはりその人の絵になっていると思う。そして妙に焦《あせ》ったようなところの見えないだけは気持がいい。
正宗《まさむね》氏の絵が沢山ある。自分はどうした訳か、この人の使用する青や緑と朱や紅との強い対照の刺戟が性に合わないせいでもあるか、どうも親しみを感じる訳に
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