とになった。地理学書でもまた物語でも読んで知っていたアトリオ・デル・カヴルロとかソマムとか、こういう名前も何となく嬉しく、また地質学者から教わる色々の岩石の名前も珍しかったと見えてよく覚えている。紺碧のナポリの湾から山腹を逆様《さかさま》に撫で上げる風は小豆大《あずきだい》の砂粒を交えてわれわれの頬に吹き付けたが、ともかくも火口を俯瞰《ふかん》するところまでは登る事が出来た。下り坂の茶店で休んだときにそこのお神さんが色々の火山噴出物の標本やラヴァやカメーの細工物などを売付けようとしたが、こしらえもののいかものだけはわが地質学者を欺く訳に行かないのがおかしかった。片言のイタリア語でお神さんに「コレ、日本の地質学者。……ダメ」と云ったようなことを云ってやったつもりである。
 次の日はポツオリに行って腹立たしくうるさい案内者に悩まされながらセラピスの寺の柱に残る地盤昇降の跡を見、ソルファタラ旧火口の噴煙を調べ、汚い家でスパゲッティの昼食を食って、帰りの電車で、贋銀貨をつかまされた外にはあまり人間味のある記憶が保存されていない。
 異郷で迎えた正月も数ある中でどうしてこの武雄温泉とナポリと二つ
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