しか記憶に残っていない。佐世保もただ殺風景な新開町であった。有田については陶器よりも別な珍奇なものが頭の中のスケッチブックに記録されている。村外れの茶店で昼飯を食った時に店先で一人の汚い乞食婆さんが、うどんの上に唐辛子《とうがらし》の粉を真赤になるほど振りかけたのを、立ちながらうまそうに食っていた姿が非常に鮮明に記録されている。こういうのはおそらくその後何かの機会に何遍となく同じ記憶の復習をし修繕を加えて来たために三十年後の今日まで保存されているのであろう。
 その婆さんの鼻の動く工合までも覚えているような気がするのである、これもはなはだ官能的である。
 武雄の温泉宿で泊ったのがちょうど大晦日《おおみそか》の晩であった。明日はここから汽車にのって一と息に熊本へ帰るというので、一同元気づいてだいぶ賑やかに騒いだりした。浴場へ行って清澄な温泉に全身を浸し、連日の疲れを休めていると、どやどやと一度に五、六人の若い女がはいって来て、そこに居たわれわれ男性の存在には没交渉に、その華やかな衣裳を脱いで、イヴ以来の装いのままで順次に同じ浴槽の中に入り込んで来た。霊山の雲霧のごとく立昇る湯気の中に、玲
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