ろの雑貨店の軒にロシア文字の看板が掛かっていたりした。そうした町を歩いている時に何とも知れぬ不思議な匂いがした。何の匂いだろうと考えたがついに解らなかったことを思い出す。そうしてその匂いがロシアの東洋艦隊というものと何かの関係があったような気がするのである。
 長崎を立って時津《ときつ》に向かう途中でロシア人専門の遊廓《ゆうかく》だというところを通ったら二階から女どもが見下ろして何かしら分らないことを云って呼びかけた。それがやはりロシア語であったことになっている。そんなことは解るはずがないのに、夢のような記憶では、それがそうであったことになっているのである。当時の露国海軍のブルータルな勢力の圧迫が若い頭に何かしら強い印銘を与えていたかもしれない。
 時津の宿で何とかいう珍しい貝の吸物を喰わされた。ずっと後にかの地における切支丹《キリシタン》迫害の歴史を読んで以来はこの貝の吸物が切支丹と一緒に思い出されるのも不思議であるが、要するにどちらも私にはかなりに官能的なものである。
 時津から早岐《はいき》まで、哀れげな小蒸気船に乗っての大村湾縦走はただうすら寒い佗しい物憂さの単調なる連続として
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