の中に、こういう異国の珍しく美しい物語が次第に入り込んで雑居して行った径路は文化史的の興味があるであろう。今書店の店頭に立っておびただしい少年少女の雑誌を見渡し、あのなまなましい色刷りの表紙をながめる時に今の少年少女をうらやましく思うよりもかえってより多くかわいそうに思うことがある。
 生まれて初めて自分が教わったと思われる書物は、昔の小学読本であって、その最初の文句が「神は天地の主宰にして人は万物の霊なり」というのであった。たぶん、外国の読本の直訳に相違ないのであるが、今考えてみるとその時代としては恐ろしい危険思想を包有した文句であった。先生が一句ずつ読んで聞かせると、生徒はすぐ声をそろえてそれを繰り返したものであるが、意味などはどうでもよかったようである。その読本にあったことで今でも覚えているのは、あひるの卵をかえした牝鶏《めんどり》が、その養い子のひよっこの「水におぼれんことを恐れて」鳴き立てる話と、他郷に流寓《りゅうぐう》して故郷に帰って見ると家がすっかり焼けて灰ばかりになっていた話ぐらいなものである。そうしてこの牝鶏と帰郷者との二つの悪夢はその後何十年の自分の生活に付きまとっ
前へ 次へ
全27ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング