の時代の自分に義理を立てて塩辛を割愛するにも及ばないであろう。
なんべん読んでもおもしろく、読めば読むほどおもしろみの深入りする書物もある。それは作ったもの、こしらえたものにはまれで、生きたドキューメントというような種類のものに多いのはむしろ当然のことであろう。
二、三ページ読んだきりで投げ出したり、またページを繰ってさし絵を見ただけの本でも、ずっと後になって意外に役に立つ場合もある。若い時分には、読みだした本をおしまいまで読まないのが悪事であるような気がしたのであるが、今では読みたくない本を無理に読むことは第一できないしまた読むほうが悪いような気がする。時には小説などを終わりのほうから逆にはじめのほうへ読むのもおもしろい、そうしていけない理由もない。活動のフィルムの逆転をしてはいけない事はないと同じである。
いろいろな書物を遠慮なくかじるほうがいいかもしれない。宅《うち》の花壇へいろいろの草花の種をまいてみるようなものである。そのうちで地味に適応したものが栄えて花実を結ぶであろう。人にすすめられた種だけをまいて、育たないはずのものを育てる努力にひと春を浪費しなくてもよさそうに思
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