また同様な効果があったかもしれないのである。ジュール・ヴェルヌの「海底旅行」はこれに反して現実の世界における自然力の利用がいかに驚くべき可能性をもっているかを暗示するものであった。それから四十年後の近ごろになって新聞で潜航艇ノーチラスの北極探検に関する記事を読み、パラマウント発声映画ニュースでその出発の光景を見ることになったわけである。この「海底旅行」や「空中旅行」「金星旅行」のようなものが自分の少年時代における科学への興味を刺激するに若干の効果があったかもしれない。
 洪水《こうずい》のように押し込んで来る西洋文学の波頭はまずいろいろなおとぎ話の翻訳として少年の世界に現われた。おとなの読み物では民友社のたしか「国民小説」と名づけるシリースにいろいろの翻訳物が交じっていた。矢野竜渓《やのりゅうけい》の「経国美談」を読まない中学生は幅がきかなかった。「佳人の奇遇」の第一ページを暗唱しているものの中に自分もいたわけである。
 宮崎湖処子《みやざきこしょし》の「帰省」が現われたとき当時の中学生は驚いた。尋常一様な現実の生活の描写が立派な文学でありうるのみか、あらゆる在来の文学中に求め得られない新鮮な美しさを包蔵しうるという事実を発見して驚いたのであった。アーヴィングの「スケッチブック」が英学生の間に流行していたのもそのころであったと思う。
 松村介石《まつむらかいせき》の「リンカーン伝」は深い印銘を受けたものの一つである。リンカーンはたった三冊の書物によってかれの全性格を造り上げたという記事が強く自分を感動させたのであったが、この事実は書物の洪水の中に浮沈する現在の青少年への気付け薬になるかもしれない。
「リンカーン伝」でよびさまされた自分の中のあるものがユーゴーの「ミゼラブル」でいっそう強くあおり立てられたようである。当時まだ翻訳は無かったように思うが、自分の見たのは英訳の抄訳本《しょうやくぼん》でただ物語の筋だけのものであった。そうして当時の自分の英語の力では筋だけを了解するのもなかなかの骨折りであったが、そのおかげで英語が急に進歩したのも事実であった。学校で教わっていた「クライブ伝」や「ヘスチング」になんの興味も感じることのできなくてかわき切っていた頭にあたたかい人間味の雨をそそいだのであった。この雨が深くしみ込んで、よかれあしかれその後の生活に影響したような気がす
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