ろの田舎《いなか》の子供にこのライネケフックスのおとぎ話はけだし天啓の稲妻であった。可能の世界の限界が急に膨張して爆発してしまったようなものであったに相違ない。
 やはりそのころ近所の年上の青年に仏語を教わろうとしたことがある。「レクチュール」という読本のいちばん初めの二三行を教わったが、父から抗議が出てやめてしまった。英語がまだ初歩なのに仏語をちゃんぽんに教わっては不利益だという理由であったが、実際はその教師となるべき青年が近隣で不良の二字をかぶらせた青年であるがためだということが後にわかって来た。思うにかれは当時の新思想の持ち主であったのである。それから十年の後高等学校在学中に熊本《くまもと》の通町《とおりまち》の古本屋で仏語読本に鉛筆ですきまなしにかなの書き入れをしたのを見つけて来て独習をはじめた。抑圧された願望がめざめたのである。子供に勉強させるには片端から読み物に干渉して良書をなるべく見せないようにするのも一つの方法であるかもしれない。そうして読んでいけないと思う種類の書物を山積して毎日の日課として何十ページずつか読むように命令するのも一法であるかもしれない。
 楠《くす》さんも、この不良と目された不幸な青年も夭死《ようし》してとくの昔になくなったが、自分の思い出の中には二人の使徒のように頭上に光環をいただいて相並んで立っているのである。この二人は自分の幼い心に翼を取りつけてくれた恩人であった。
 楠さんの弟の亀《かめ》さんはハゴを仕掛けて鳥を捕えたり、いろいろの方法でうなぎを取ったりすることの天才であった。この亀さんから自分は自然界の神秘についていかなる書物にも書いてない多くのものを学ぶことができた。
 中学時代の初期には「椿説弓張月《ちんせつゆみはりづき》」や「八犬伝《はっけんでん》」などを読んだ。田舎《いなか》の親戚《しんせき》へ泊まっている間に「梅暦《うめごよみ》」をところどころ拾い読みした記憶がある。これらの読み物は自分の五体の細胞の一つずつに潜在していた伝統的日本人をよびさまし明るみへ引き出すに有効であった。「絵本西遊記《えほんさいゆうき》」を読んだのもそのころであったが、これはファンタジーの世界と超自然の力への憧憬《どうけい》を挑発《ちょうはつ》するものであった。そういう意味ではそのころに見た松旭斎天一《しょうきょくさいてんいち》の西洋奇術も
前へ 次へ
全14ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング