えるための舵《かじ》のようなものらしい。
 座席に腰かけている人はパナマ帽に羽織袴《はおりはかま》の中年紳士で、ペダルを踏んでいるのは十八九歳ぐらいの女中さんである。
 この乗り物が町の四つ角《かど》に来たとき、そのうしろから松葉杖《まつばづえ》を突いた立派な風采《ふうさい》の青年がやって来て追い越そうとした。袴をはいているが見たところ左の足が無いらしい。それを呼び止めて三輪車上の紳士が何か聞いている。隻脚《せききゃく》の青年は何か一言きわめてそっけない返事をしたまま、松葉杖のテンポを急がせて行き過ぎてしまった。思いなしか青年の顔がまっかになっているように思われた。
 呼び止めた歩行不能の中年紳士の気持ちも、急いで別れて行った青年の気持ちもいくらかわかるような気がした。自分があの二人のどちらかだったら、やはり同じことをしたであろうと思われた。

       十一

 風邪《かぜ》をひいて軽い咳《せき》が止まらないようなとき昔流の振り出し薬を飲むと存外よくきく事がある。草根木皮の成分はまだ充分には研究されていないのだから、医者の知らない妙薬が数々はいっているかもしれない、またいないかも
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