の前にすわれば床の間の三宝《さんぽう》に枳殼《からたち》飾りし親の情先ず有難《ありがた》く、この枳殼誤って足にかけたれば取りかえてよと云う人の情もうれし。盃一順。早く行て船室へ場を取りませねばと立上がれば婢僕《ひぼく》親戚|上《あが》り框《かまち》に集《つど》いて荷物を車夫に渡す。忘れ物はないか。御座りませぬ。そんなら皆さん御機嫌よくも云った積《つも》りなれどやゝ夢心地なればたしかならず。玄関を出れば人々も砂利《じゃり》を鳴らしてついて来る。用意の車五輌口々に何やら云えどよくは耳に入らず。から/\と引き出せば後にまた御機嫌ようの声々あまり悪からぬものなり。見返る門柳監獄の壁にかくれて流れる水に漣※[#「さんずい+猗」、第3水準1−87−6]《れんい》動く。韋駄天《いだてん》を叱する勢いよく松《まつ》が端《はな》に馳《か》け付くれば旅立つ人見送る人|人足《にんそく》船頭ののゝしる声々。車の音。端艇|涯《きし》をはなるれば水棹《みさお》のしずく屋根板にはら/\と音する。舷《ふなべり》のすれあう音ようやく止んで船は中流に出でたり。水害の名残《なごり》棒堤《ぼうづつみ》にしるく砂利に埋るゝ蘆《
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