大道の蓄音機を聞いてみたいという希望をかなり強くもっていたにかかわらず、とうとう一度も聞く事ができなかった。私の知っている範囲の友だちや市民でこの蓄音機の管を耳にはさんでいるのを見かけた事もなかった。聞いているのはほとんど皆|田舎《いなか》の田舎から出て来たらしい最も文明と縁の遠い人たちであった。
大道で蓄音機を聞くという事がたいして悪い事とは思われない。りんごをかじりながら街頭をあるくよりも、環視の中でメリーゴーラウンドに乗るよりもむしろいい事かもしれないのに、何かしらそれを引き止める心理作用があって私の勇気を沮喪《そそう》させるのであった。そのためにこの文明の利器に親炙《しんしゃ》する好機会をみすみす取り逃がしつつ、そんなこだわりなしにおもしろそうに聞いている田舎《いなか》の人たちをうらやまなければならなかった。このような「薄志弱行」はいつまでも私の生涯《しょうがい》に付きまとって絶えず私に「損」をさせている。
大道蓄音機が文化の福音を片田舎に広めた事は疑いもないが、同時にあの耳にはさむ管の端が耳の病気を伝播《でんぱ》させはしなかったかと心配する。今ならばフォルマリンか何かで消
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