しかし他人にはおそらくくだらなく些細《ささい》なこの経験を世の教育家たちにささげて何かの参考にしてもらいたいと思っている。
エジソンの発明から十数年の後に、初めて東洋の田舎《いなか》の小都会に最新の驚異として迎えられた蓄音機も、いつとはなしに田舎でもあまり珍しいものではなくなってしまった。日曜ごとにK市の本町通りで開かれる市にいつもきまって出現した、おもちゃや駄菓子《だがし》を並べた露店、むしろの上に鶏卵や牡丹餅《ぼたもち》や虎杖《いたどり》やさとうきび等を並べた農婦の売店などの中に交じって蓄音機屋の店がおのずからな異彩を放っていた。
器械から出る音のエネルギーがいたずらに空中に飛散して銭を払わない往来の人に聞こえる事のないように、銭を払った花客だけによく聞こえるために幾対かのゴム管で分配されるようになっていた。耳にさした管を両手でおさえて首をたれて熱心に聞いている花客を見おろすようにして、口の内で器械の音曲をささやいている主人は狐《きつね》の毛皮の帽子をかぶったりしていた。彼はともかくも周囲のあらゆる露店の主人に比べては一頭地を抜いた文明の宣伝者ででもあるように思われた。
私は
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