からあちらでもこちらでもそれを歌っているのであった。
 小学生のよく歌うような唱歌のレコードも買って来たが、それらはとても聞かれない妙な不愉快なものであった。ああいう歌でもちゃんとした声楽家の歌ったのならきっとおもしろいだろうと思われるが、普通のレコードのように妙な癖のあるませた子供の唱歌は私にはどうも聞き苦しい。そうかと言って邦楽の大部分や俗曲の類は子供らにあまり親しませたくなし、落語などというのは隣でやっているのを聞くだけでも私は頭が痛くなるようであった。それで結局私のレコード箱にはヴィクターの譜が大部分を占めるようになった。
 妙なもので、初めのうちは「牛若丸《うしわかまる》」や「うさぎとかめ」などを喜んだ子供らも、じきに、そういうものよりは、やはりあちらの名高い曲のいいレコードを喜ぶようになった。きょうは「アンヴィルコーラス」をやれとか、カルソーの「アヴェマリア」をやれとかいろいろの注文を持ち出すようになった。
 普通の和製のレコードとヴィクターのと見比べて著しく目につく事は盤の表面のきめ[#「きめ」に傍点]の粗密である。その差はことに音波の刻まれた部分に著しい。適当な傾きに光
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