地震雑感
寺田寅彦

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)展望図《パースペクティヴ》に過ぎない

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)地|辷《すべ》りに起因する

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)これをなるべく[#「なるべく」に傍点]忠実に
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      一 地震の概念

 地震というものの概念は人々によってずいぶん著しくちがっている。理学者以外の世人にとっては、地震現象の心像はすべて自己の感覚を中心として見た展望図《パースペクティヴ》に過ぎない。震動の筋肉感や、耳に聞こゆる破壊的の音響や、眼に見える物体の動揺転落する光景などが最も直接なもので、これには不可抗的な自然の威力に対する本能的な畏怖が結合されている。これに附帯しては、地震の破壊作用の結果として生ずる災害の直接あるいは間接な見聞によって得らるる雑多な非系統的な知識と、それに関する各自の利害の念慮や、社会的あるいは道徳的批判の構成等である。
 地震の科学的研究に従事する学者でも前述のような自己本位の概念をもっていることは勿論であるが、専門の科学上の立場から見た地震の概念は自ずからこれと異なったものでなければならない。
 もし現在の物質科学が発達の極に達して、あらゆる分派の間の完全な融合が成立する日があるとすれば、その時には地震というものの科学的な概念は一つ、而《しか》してただ一つの定まったものでなければならないはずだと思われる。しかし現在のように科学というものの中に、互いに連絡のよくとれていない各分科が併立して、各自の窮屈な狭い見地から覗《うかが》い得る範囲だけについていわゆる専門を称《とな》えている間は、一つの現象の概念が科学的にも雑多であり、時としては互いに矛盾する事さえあるのは当然である。
 地震を研究するには種々の方面がある。先ず第一には純統計的の研究方面がある。この方面の研究者にとっては一つ一つの地震は単に一つ一つの算盤玉《そろばんだま》のようなものである、たとえ場合によっては地震の強度を分類する事はあっても、結局は赤玉と黒玉とを区別するようなものである。第二には地震計測の方面がある。この方面の専攻者にとっては、地震というものはただ地盤の複雑な運動である。これをなるべく[#「なるべく」に傍点]忠実に正確に記録すべき器械の考案や
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