、また器械が理想的でない場合の記録の判断や、そういう事が主要な問題である。それから一歩を進むれば、震源地の判定というような問題に触れる事にはなるが、更にもう一歩を進めるところまで行く暇のないのが通例である。この専門にとっては、地震というものと地震計の記象とはほとんど同意義《シノニム》である。ある外国の新聞に今回の地震の地震計記象を掲げた下に Japanese Earthquake reduced to line. と題してあるのを面白いと思って見たが、実際計測的研究者にとっては研究の対象は地震よりはむしろ「線に直した地震」であるとも云われる。
第三に地質学上の現象として地震を見るのもまた一つの見方である。
この方面から考えると、地震というものの背景には我地球の外殻を構成している多様な地層の重畳したものがある。それが皺曲《しゅうきょく》や断層やまた地下熔岩の迸出《へいしゅつ》によって生じた脈状あるいは塊状の夾雑物《きょうざつぶつ》によって複雑な構造物を形成している。その構造の如何なる部分に如何なる移動が起ったかが第一義的の問題である。従ってその地質的変動によって生じた地震の波が如何なる波動であったかというような事はむしろ第二義以下の問題と見られる傾向がある。この方面の専門家にとっては地震即地変である。またいわゆる震度の分布という問題についても地質学上の見地から見ればいわゆる「地盤」という事をただ地質学的の意味にのみ解釈する事は勿論の事である。
第四には物理学者の見た地震というものがる。この方の専門的な立場から見れば、地震というものは、地球と称する、弾性体で出来た球の表面に近き一点に、ある簡単な運動が起って、そこから各種の弾性波が伝播する現象に外ならぬのである。そして実際多くの場合に均質な完全弾性体に簡単なる境界条件を与えた場合の可逆的な変化について考察を下すに過ぎないのである。物理学上の方則には誤りはないはずであっても、これを応用すべき具体的の「場合」の前提とすべき与件の判定は往々にして純正物理学の範囲を超越する。それ故に物理学者の考える地震というものは結局物理学の眼鏡を透して見得るだけのものに過ぎない。
同じく科学者と称する人々の中でも各自の専門に応じて地震というものの対象がかくのごとく区々《まちまち》である。これは要するにまだ本当の意味での地震学というもの
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