から行って見るまでわからなかったし、死因も全然不明であったのである。
最も大規模な測量の例としてはこんな場合もある。台湾《たいわん》の中央山脈を測量した時などは、蛮人百二十名巡査十五名を従え軍隊組織で行列二里にわたり、四日間の露営をしたそうであるが、これらは民間登山家などには味わうことのできない一種の天国行軍であろうと思われる。
とにかく、これだけの艱難辛苦《かんなんしんく》によって一等三角網が完成される。これを基礎としてそれから二等三等三角網が張り渡され、それを目標として局部局部の地形測量を仕上げられるまでのいきさつは、およそ素人《しろうと》の想像に余るものであろう。
地形測量をする測量班員が深山幽谷をさまようて幾日も人間のにおいをかがずにいて、やっとどこかの三角点の櫓《やぐら》にたどりつくと、なんとなくうれしさとなつかしさに胸をおどらすという話である。この一事だけでも、この仕事の生やさしいものでない事がわかるであろう。
自分はずっと前からこの世に知られていない文化の貢献者を何かの機会に世間に紹介したいという希望をもっていた。そうして当局者の好意で主要な高山における三角点の観
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