しろいものを見せてやろう」といって見せてくれたのは、シナの某地の地形図であった。やはり二十メートルごとぐらいの等高線を入れてあったが、それが一見してほとんどいいかげんなでたらめなものであるということがわかった。等高線の屈曲配布にはおのずからな方則があっていいかげんなものと正直に実測によったものとは自然に見分けができるのである。
その時に痛切に感じたことは日本の陸地測量部で地形図製作に従事している人たちのまじめで忠実で物をごまかさない頼もしい精神のありがたさであった。ほとんど人跡未到な山の中の道のない所に道を求めあらゆる危険を冒しても一本の線にも偽りを描かないようにというその科学的|日本魂《やまとだましい》のおかげであの信用できる地形図が仕上がるのである。そういう辛酸をなめた文化の貢献者がどこのだれかということは測量部員以外だれも知らない。
登山流行時代の今日スポーツの立場から嶮岨《けんそ》をきわめ、未到の地を探り得てジャーナリズムをにぎわしたような場合でも、実は古い昔に名の知れない測量部員が一度はそこらを縦横に歩き回ったあとかもしれない。
上には上がある。測量部員が真に人跡未到と思われる深山を歩いていたらさび朽ちた一本の錫杖《しゃくじょう》を見つけたという話もあるそうである。
地形測量の基礎になるだいじな作業はいわゆる一等三角測量である。いわゆる基線(ベースライン)が土台になって、その上にいわゆる一等三角点網を組み立てて行く、これが地図の骨格となるべき鉄骨構造である。その網目の中に二等三等の三角網を張り渡し、それに肉や皮となり雑作《ぞうさく》となる地形を盛り込んで行くのである。この一等三角点にはみんな高い山の頂上が選ばれる。
その理由は、各三角点から数十キロないし百キロの距離にある隣接三角点への見通しがきかなければならないからである。それだから、三角測量に従事する人たちは年が年じゅう普通の人はめったに登らないような山の頂上ばかりを捜してあちらこちらと渡って歩いている。そうして天気が悪くて相手の山頂三角点が見えなければ、幾日でもそれが見えるまで待っていなければならない。関東震災後の復旧測量では毛無山《けなしやま》頂上で二十八日間がんばって天城山《あまぎさん》の頭を出すのを今か今かと待っていた人がある。古いレコードでは七十日というのさえある。
測量を始める前にはまず第一に三角点の位置を選定する選点作業が必要である。深山の峰から峰と一つ一つ登って行ってはそこから百キロ以内の他の高峰との見透しを調べて歩くのである。一点を決定するのに平均二週間はかかる。そうして三角点の配布が決定したら、次にはそこに櫓《やぐら》を組む造標作業がある。場所によっては遠い下のほうから材木を引き上げなければならず、また見透しの邪魔になる樹木を切らなければならない。これにも一点に約二週間はかかる。
櫓《やぐら》ができたら少なくも一年は放置して構造の狂いを充分に落ち着かせてからいよいよ観測にかかる。一点における観測作業に天気がよくても二週間ぐらいはかかる。技師一人技手一人と測量人夫六名ないし十名ぐらいの一行でテント生活をする。場所によっては水くみだけでもなかなかの大仕事である。食料は米味噌《こめみそ》、そのほかに若布《わかめ》切り干し塩ざかななどはぜいたくなほうで、罐詰《かんづめ》などはほとんど持たない。野菜類は現場で得られるものは利用する。カラフトではいろいろな植物を片端から試験的に食ってみた人もある。渓流《けいりゅう》で小ざかなをつかみ取りにしたり、野獣を射止めて思わぬ珍味にありつくこともおりおりはあるそうである。
北海道では熊《くま》におびやかされたり、食糧欠乏の難場で肝心の貯蔵所をこの「山のおじさん」に略奪されて二三日絶食した人もある。道を求めて滝壺《たきつぼ》に落ちて危うく助かった人もある。暴風にテントを飛ばされたり、落雷のために負傷したり、そのほか、山くずれ、洪水《こうずい》などのために一度や二度死生の境に出入しない測量部員は少ないそうである。それにもかかわらず技術官で生命をおとした人はほとんどないというのは畢竟《ひっきょう》多年の経験による周到な準備と注意によるものであろう。
技術官に随行する測夫というのがまた隠れた文化の貢献者である。ただ一人山頂の櫓に回照器(ヘリオトロープ)を守って、時々刻々に移動する太陽の光束を反射して数十キロメートルかなたの観測点に送る。それには多年の修練によるデリケートな神経と筋肉の作用を要する。この測夫の熟練のいかんによって観測作業の進捗《しんちょく》が支配されるのである。ある時向こうの山頂の回照器がいつまで待っても光を送らない。信号をしても返事がない。行って見ると櫓から落ちて死んでいた。深山にただ一人だ
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