ってこれを実験し、自然その物から確実の知識を得ようとする人はさらにさらにまた少ないのである。
 古来邦画家は先人の画風を追従するにとどまって新機軸を出す人は誠に寥々《りょうりょう》たる晨星《しんせい》のごときものがあった。これらは皆知って疑わぬ人であったとも言われよう。疑って考えかつ自然について直接の師を求めた者にいたって始めて一新天地を開拓しているの観がある。
 読書もとよりはなはだ必要である、ただ一を読んで十を疑い百を考うる事が必要である。人間の知識を一歩進めんとする者は現在の知識の境界線まで進むを要する事はもちろんである。すでに境界線に立って線外の自然をつかまんとするものは、いたずらに目をふさいで迷想するだけではだめである。目を開いて自然その物を凝視しなければならぬ。これを手に取って右転左転して見なければならぬ。そうして大いに疑わねばならぬ。この際にただ注意すべき事は色めがねをかけて見ない事である。自分が色めがねをかけているかいないかを確かめるためには、さらに翻って既知の自然を省みまた大いに疑わなければならぬ事はもちろんである。
 疑わぬ人ははなはだ多い。|欠[#レ]知《しるをか
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