九月二十四日の暴風雨に庭の桜の樹が一本折れた。今年の春、勝手口にあった藤を移植して桜にからませた、その葉が大変に茂っていたので、これに当たる風の力が過大になって、細い樹幹の弾力では持ち切れなくなったものと思われる。
 これで見ても樹木などの枝葉の量と樹幹の大きさとが、いかによく釣合が取れて、無駄がなく出来ているかが分る。それを人間がいい加減な無理をするものだから、少しの嵐にでも折れてしまうのである。

         三

 いわゆる頭脳のいい人はどうも研究家や思索家にはなれないらしい。むつかしい事がすぐに分るものだから、つい分らない事までも分ったつもりになってしまうようである。
 頭の悪いものは、分りやすい事でも分りにくい代りにまたほんとうに分らない事を分らせ得る可能性をも有《も》っているようである。
 この事が哲学やその他文科方面の研究思索について真実である事はむしろよく知られた事であると思うが、理化学の方面でもやはりそうだという事はあまりよく知られていないようである。

         四

 ストウピンのセロの演奏を聞いた。近来にない面白い音楽を聞いた。
 われわれ素人
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