の質やその構造の弱点などに関する段階的系統的の検定を経た上でなければ、だれも容認しない事になっていたのならば、おそらくこれほどの事はあるまいと思われる。
 長い使用に堪えない間に合わせの器物が市場にはびこり、安全に対する科学的保証の付いていない公共構造物が至るところに存在するとすれば、その責めを負うべきものは必ずしも製造者や当局者ばかりではない。
 もしも需要者のほうで粗製品を相手にしなければ、そんなものは自然に影を隠してしまうだろう。そしてごまかしでないほんもの[#「ほんもの」に傍点]が取って代わるに相違ない。
 構造物の材料や構造物に対する検査の方法が完成していれば、たちの悪い請負師《うけおいし》でも手を抜くすきがありそうもない。そういう検定方法は切実な要求さえあらばいくらでもできるはずであるのにそれが実際にはできていないとすれば、その責任の半分は無検定のものに信頼する世間にもないとは言われないような気がする。
 私が断水の日に経験したいろいろな不便や不愉快の原因をだんだん探って行くと、どうしても今の日本における科学の応用の不徹底であり表面的であるという事に帰着して行くような気がす
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