庭の追憶
寺田寅彦
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)藤田《ふじた》という人
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)目下|上野《うえの》で開催中
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から3字上げ](昭和九年六月、心境)
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郷里の家を貸してあるT氏からはがきが来た。平生あまり文通をしていないこの人から珍しい書信なので、どんな用かと思って読んでみると、
郷里の画家の藤田《ふじた》という人が、筆者の旧宅すなわち現在T氏の住んでいる屋敷の庭の紅葉を写生した油絵が他の一点とともに目下|上野《うえの》で開催中の国展に出品されているはずだから、暇があったら一度見に行ったらどうか。
という親切な知らせであった。さっそく出かけて行って見たら、たいして捜すまでもなくすぐに第二室でその絵に出くわした。これだとわかった時にはちょっと不思議な気がした。それはたとえば何十年も会わなかった少年時代の友だちにでも引き合わされるようなものであった。
「秋庭」という題で相当な大幅《たいふく》である。ほとんど一面に朱と黄の色彩が横溢《おういつ》して見るもまぶしいくらいなので、一見しただけではすぐにこれが自分の昔なじみの庭だということがのみ込めなかった。しかし、少し見ているうちに、まず一番に目についたのは、画面の中央の下方にある一枚の長方形の飛び石であった。
この石は、もとどこかの石橋に使ってあったものを父が掘り出して来て、そうして、この位置にすえたものである。それは自分が物ごころついてから後のことであった。この石の中ほどにたしか少しくぼんだところがあって、それによく雨水や打ち水がたまって空の光を照り返していたような記憶がある。しかし、ことによるとそれは、この石の隣にある片麻岩《へんまがん》の飛び石だったかもしれない。それほどにもう自分の記憶がうすれているのはわびしいことである。
この絵でも、この長方形の飛び石の上に盆栽が一つと水盤が一つと並べておいてあるのがすっかり昔のままであるような気がするが、しかしこの盆栽も水盤も昔のものがそのまま残っているはずはない。それだのに不思議な錯覚でそれが二十年も昔と寸分ちがわないような気がするのである。
この飛び石のすぐわきに、もとは細長い楠《くす》の木が一本あった。それはどこ
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