かの山から取って来た熊笹《くまざさ》だか藪柑子《やぶこうじ》だかといっしょに偶然くっついて運ばれて来た小さな芽ばえがだんだんに自然に生長したものである。はじめはほんの一二寸であったものが、一二尺になり、四五尺になり、後にはとうとう座敷のひさしよりも高くなってしまった。庭の平坦《へいたん》な部分のまん中にそれが旗ざおのように立っているのがどうも少し唐突なように思われたが、しかし植物をまるで動物と同じように思って愛護した父は、それを切ることはもちろん移植しようともしなかったのであった。しかし父の死後に家族全部が東京へ引き移り、旧宅を人に貸すようになってからいつのまにかこの楠は切られてしまった。それでこの「秋庭」の画面にはそれが見えないのは当然である。しかしそれが妙に物足りなくもさびしくも思われるのであった。
次に目についたのは画面の右のはずれにある石燈籠《いしどうろう》である。夏の夕方には、きまって打ち水のあまりがこの石燈籠の笠《かさ》に注ぎかけられた。石にさびをつけるためだという話であった。それからまた低気圧が来て風が激しくなりそうだと夜中でもかまわず父は合羽《かっぱ》を着て下男と二人で、この石燈籠のわきにあった数本の大きな梧桐《あおぎり》を細引きで縛り合わせた。それは木が揺れてこの石燈籠を倒すのを恐れたからである。この梧桐《あおぎり》は画面の外にあるか、それとももうとうの昔になくなっているかもしれない。
画面の左上のほうに枝の曲がりくねった闊葉樹《かつようじゅ》がある。この枝ぶりを見ていると古い記憶がはっきりとよみがえって来て、それが槲《かしわ》の木だとわかる。ちょうど今ごろ五月の節句のかしわ餅《もち》をつくるのにこの葉を採って来てそうしてきれいに洗い上げたのを笊《ざる》にいっぱい入れ、それを一枚一枚取っては餅を包んだことをかなりリアルに思い出すことができる。餡入《あんい》りの餅のほかにいろいろの形をした素焼きの型に詰め込んだ米の粉のペーストをやはり槲の葉にのせて、それをふかしたのの上にくちなしを溶かした黄絵の具で染めたものである。
正面の築山《つきやま》の頂上には自分の幼少のころは丹波栗《たんばぐり》の大木があったが、自分の生長するにつれて反比例にこの木は老衰し枯死して行った。この絵で見ると築山の植え込みではつつじだけ昔のがそのまま残っているらしい。しかし絵
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