も無責任とは云えない、ただ当然な事実の正直な告白に過ぎない。赤と緑の光を混じたものを見て灰色だというのはどうにもならない科学的の事実である。しかし全体の合成的《レザルタント》効果が灰色であるという事は、それを分光器で分析した時に色彩の現れないという事にはならないと同様に、日本画部に傑作がないという事はうっかり云われない。
かなりな作品があるのに観覧者の印象が空虚だとすれば罪は展覧会という無理な制度にあるのだろう。こういう意味で個人作品展覧会というものの有難味が今更のように深く味わわれる。
分光器にかけて分析した帝展の日本画が果してみんなそれぞれに充分|飽和《サチュレート》した特色を含んでいるだろうか。それともいくら分析してもどこまでも不飽和な寝惚《ねぼ》けた鼠色に過ぎないだろうか。この疑問に答える前には先ず分光器それ自身の検査が必要になる。
批評の態度には色々ある。批評家自身の芸術観から編み上げた至美至高の理想を詳細に且《か》つ熱烈に叙述した後に、結論としてただ一言「それ故にこれらの眼前の作品は一つも物になっていない」と断定するのもある。そういうのも面白いが、あまり抽象的で従って
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