その新しい描き方に少時足を止めさせられたりする。しかしそれと同じような絵で、もっと好いのを前にどこか他所《よそ》で見たような気がし出して来ると、私の眼は自然にその隣りの小型の美人画や花鳥画に移って行ったりする。
二室三室と移って行くうちに、始めの緊張した心持は孔のあいた風船玉のようにしぼみ縮んで行く。そうして時々ちょっとしたスキルラやカリブディスに遭遇しても大抵《たいてい》は無事に通過してしまう。最後に私の頭に残った日本画部全体の印象は、干からびた灰色の、無秩序な些細《ささい》な抑揚の交錯であある。
批評でも書いてみようという成心を持っていない、通り一遍の観覧者の多数は、おそらくこういう感じを抱いて洋画の方へ移って行くに相違ない。新聞雑誌に現われる短評などにも随分こういう心持をそのままに云い表わしたのが多いように見える。それで多くの人の口からは「今年のもつまらない」という概括的な歎息がもらされる。出品者に取っておそらくこれほど残念な張合いのない事はあるまいと思う。こういう批評は恐ろしく無責任な冷酷なものとして神経過敏な出品者の不快な反感を買うかもしれない。しかしこの種の批評は必ずし
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