! と叫んだ。私はそのときの主婦の灰汁《あく》の強過ぎるパリジェンヌぶりに軽い反感を覚えないではいられなかったのであった。
あとで担保に入れてあったガージュを銘々に返していたとき、一本の鉛筆をさし上げて「これはどなたのでしたか」と主婦が尋ねたら、一座の中の二人のイタリア女の若い方が軽く立上がって親指で自身の胸を指さし、ただ一言ゆっくり静かに Il mio. と云った。そのときほど私はイタリア語というものを優美なものに思ったことはないような気がする。
ドイツの冬夜の追憶についてはもう前に少しばかり書いたような気がするが、今この瞬間に突然想い出したのはゲッチンゲンの歳暮のある夜のことである。雪が降り出して夜中には相当積もった。明りを消して寝ようとしていると窓外に馬の蹄《ひづめ》の音とシャン/\/\という耳馴れぬ鈴の音がする。カーテンを上げて覗《のぞ》いてみると、人気《ひとけ》のない深夜の裏通りを一台の雪橇《ゆきぞり》が辷《すべ》って行く、と思う間もなく、もう町のカーヴを曲って見えなくなってしまった。
子供の時分にナショナルリーダーを教わったときに生れてはじめて雪橇というものの名を聞
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