き覚え、その絵を見て、限りなき好奇心と異国の冬への憧憬を喚び起こされたのであったが、その実物をこの眼に見、その鈴の音を耳にしたのは実にこの夜が初めてでありそうしてまたおそらく最後でもあった。しかも、それがかすかな雪明かりに窓からちらと見えた後影だけで消えてしまった。それだけにその印象はかえって一倍強烈であったのかもしれない。ともかくもその瞬間に自分が子供の時分に夢みていた生粋《きっすい》の西洋というものが忽然と眼前に現われて忽然と消えてしまったのであった。今の日本人ことに都会人が西洋へ行って西洋の都市に暮していても、真に西洋を感じるということはおそらく比較的稀であろう。ただかえってこんな思わぬ不用意の瞬間に閃光のごとくそれを感じるだけであろうかと思われる。
この雪夜の橇の幻の追憶はまた妙な聯想を呼出す。父が日清戦争に予備役で召集されて名古屋にいたのを、冬の休みに尋ねて行ってしばらく同じ宿屋に泊っていたときのことである。戦争中で夜までも忙がしいので父の帰りは遅いことがしばしばあった。自分だけ早くから寝てもなかなか寝付かれないので、もう帰るかもう帰るかと心待ちにしていると自然と表通りを去
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