津田青楓君の画と南画の芸術的価値
寺田寅彦
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)如何《いか》に
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)紹介したいという|私の動機《プライヴェートモーチヴ》から
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「十−一」、第3水準1−14−4]
−−
私は永い前から科学と芸術、あるいはむしろ科学者と芸術家との素質や仕事や方法に相互共通な点の多い事に深い興味を感じている。それで嗜好趣味という事は別として、科学者として芸術を論じるという事もそれほど不倫な事とは思われない。のみならず自身に取っては芸術上の問題を思索する事によって自分の専門の事柄に対して新しい見解や暗示を得る事も少なくないのである。それと同時に、科学者の芸術論が専門の芸術評論家の眼から見て如何《いか》に平凡幼稚なものであっても、芸術家の芸術論と多少でも異なるところがあらば、それは少なくも或《あ》る芸術家のために何らかの参考にならぬとも限らない。もしそうだとすれば自分がここにあえてこの一篇を公にするのも強《あなが》ち無意味ではないかもしれない。例えば山出しの批評も時には三越意匠部の人の参考になるかもしれず、生蕃人《せいばんじん》の東京観も取りようでは深刻な文明批評とも聞える事があるかもしれない。
この稿を起したもう一つの理由は、友人としての津田君の隠れた芸術をいくぶんでも世間に紹介したいという|私の動機《プライヴェートモーチヴ》からである。これも一応最初に断っておいた方がよいかと思う。
津田君は先達て催した作画展覧会の目録の序で自白しているように「技巧一点張主義を廃し新なる眼を開いて自然を見直し無技巧無細工の自然描写に還り」たいという考えをもっている人である。作画に対する根本の出発点が既にこういうところにあるとすれば津田君の画を論ずるに伝説的の技巧や手法を盾に取ってするのはそもそも見当違いな事である。小笠原流の礼法を標準としてロシアの百姓《ムジーク》の動作を批評するようなものかもしれない。あるいはむしろ自分のような純粋な素人《しろうと》の評の方が却《かえ》って適切であり得るかもしれない。一体津田君の主張するように常に新たな眼で自然を見直すという事は科学者にとっても甚《はなは》だ重要な事である。科学の進歩の行き止りにならないのは全くそういう態度の賜物である。科学は決して自然をありのままに記載するものではない。自然の顔には教科書の文句は書いてない。自然を如何に見て如何に表現すべきかという事は全く自由ではないがしかも必ずしも絶対に単義的《ユニーク》なものではない。例えば昼夜の交代太陽の運行を観測した時に地球が動いているとするか太陽が動いているとするかはただこれだけの現象の説明をするにはいずれでも差しつかえはない。しかし太陽が地球の周囲を動いているとすると外の遊星の運動を非常に複雑なものと考えなければならず、また重力の方則なども恐ろしく難儀なものになるに相違ない。科学の場合には方則の普遍性とか思考の節約とかいう事が標準となって科学者の自然に対する見方を指導しその価値を定めて行くのである。これに比べて芸術家が自然に対する見方は非常に多様であり得る事は勿論《もちろん》である。科学者はなるたけ自分というものを捨ててかかろうとする。一方で芸術家はもっぱら自己を主張しようとする。而《しか》してその区々《まちまち》な表現の価値を定めるものも科学の場合とは無論一様でない。しかしともかくも芸術家のうちで自然そのものを直接に見て何物かを見出そうという人があれば、その根本の態度や採るべき方法には自《おの》ずから科学者と共通点を見出す事が出来てもよい訳である。
新しい目で自然を見るという事は存外六《むつ》かしい事である。吾人《ごじん》は生れ落ちて以来馴れ切っている周囲に対して、ちゃんと定まった、しかも極《きわ》めて便宜的《コンヴェンショナル》な型や公式ばかりを当《あ》て嵌《は》めている。朝起きて顔を洗う金盥《かなだらい》の置き方から、夜寝る時の寝衣の袖の通し方まで、無意識な定型を繰返している吾人の眼は、如何に或る意味で憐れな融通のきかきぬものであるかという事を知るための、一つの面白い、しかも極めて簡単な実験は、頭を倒《さかさ》にして股間《こかん》から見馴れた平凡な景色を覗《のぞ》いて見る事である。たったそれだけの眼の向け方でも今まで見逃していた自然の美しさが今更《いまさら》のように目に立つのである。写真機のピントガラスに映った自然や、望遠鏡の視野に現われた自然についても、時に意外な発見をして驚くのは何人《なんぴと》にも珍しくない経験である。
芸術家としてどうすれば新しい見方をする事が出来るかという事は一概に云えない。それは人々の天性や傾向にもよる事であろうが、一つにはまた絶えざる努力と修練を要する事は勿論である。然《しか》るに現今幾百を数える知名の画家|殊《こと》に日本画家中で少なくも真剣にこういう努力をしている人が何人あるかという事は、考えてみると甚だ心細いような気がする。それで津田君のこの点に対する努力の結果が既にどこまで進んでいるかは別問題としても、そういう態度とこれを実行する勇気とに対して先ず共鳴を感じないではいられないのである。
尤《もっと》もどの画家でも相当な人ならばある程度まではそういう事を考えぬ人は無いかもしれないが、しかしそう考えるばかりで何時《いつ》までも同じ谷間の径路を往復しながら対岸の自然を眺めているのでは到底駄目であろう。一度も二度も馴れた道を捨てなければならない、時には頭を倒にして見るだけの手数もあえてしなければならない。時にはまた向うの峰へ上って見下す事もしなければならない。こういう事を現に少しでも実行しているらしい少数の画家の作画に対して自分は常に同情と期待をもって注意していた。その作品がどれほど自分の嗜好からは厭《いや》なと思うものでも、またあまりに生硬と思うものでも、それにかかわらず一種の愉快な心持をもって熟視する事が出来た。毎年の文展や院展を見に行ってもこういう自分のいわゆる外道的鑑賞眼を喜ばすものは極めて稀《まれ》であった。多くの絵は自分の眼にはただ一種の空虚な複製品としか思われなかった。少なくも画家の頭脳の中にしまってある取って置きの粉本《ふんぼん》をそのまま紙布の上に投影してその上を機械的に筆で塗って行ったものとしか思われなかった。ペンキ屋が看板の文字を書くようにそれはどこから筆を起してどういう方向に運んで行っても没交渉なもののように見えた。たまには複製でない本当の原本《オリジナル》と思われる絵を見出して愉快を感じる事もあったが、ややもすればその独創的な点がもうそろそろ一種の安心したような、これでいいといったようなおさまり方に変化するのを認めて失望した。どうかしてもう少し迷っている画家のおさまらぬ作品に接したいと希望していた。そうして偶然に逢着したのが津田君であった。
洋画家並びに図案家としての津田君は既に世間に知られている。しかし自分が日本画家あるいは南画家としての津田君に接したのは比較的に新しい事である。そしてだんだんその作品に親しんで行くうちに、同君の天品が最もよく発揮し得られるのは正《まさ》しくこの方面であると信ずるようになったのである。
津田君はかつて桃山に閑居していた事がある。そこで久しく人間から遠ざかって朝暮ただ鳥声に親しんでいた頃、音楽というものはこの鳥の声のようなものから出発すべきものではないかと考えた事があるそうである。津田君が今日その作品に附する態度はやはりこれと同じようなものであるらしい。出来るだけ伝統的の型を離れるには一度あらゆるものを破壊し投棄して原始的の草昧時代《そうまいじだい》に帰り、原始人の眼をもって自然を見る事が必要である。こういう主張は実は単なる言詞としては決して新しいものではないだろうが、日本画家で実際にこの点に努力し実行しつつある人が幾人あるという事が問題である。
原始的無技巧という点では野蛮人の絵や子供の絵は最も代表的のものであろう。彼等の絵は概念的抽象的あるいはむしろ科学的なものである。しかしアカデミックな芸術に食傷したものの眼には不思議な慰安と憧憬を感ぜしめる。これはただ牛肉の後に沢庵《たくあん》といいうような意味のものではなく、もっとずっと深い内面的の理由による事と思う。美学者や心理学者はこれに対してどういう見解を下しているか知らないが、とにかく東洋画|殊《こと》に南画というものの芸術的の要素の中にはこれと同じようなものがある事は疑いない。
複製《リプロダクション》の技術としての絵画はとうの昔に科学の圧迫を受けて滅亡してしまった。筆触用墨の技巧はいまだ一般の鑑賞家には有難がられているであろうが、本当の芸術としての生命は既に旦夕《たんせき》に迫っている。そのような事は職人か手品師の飯の種になるべきものではあるまいか。筆の先を紙になすりつけ、それが数尾のごまめを表わし得て生動の妙を示したところで、これはあまりに職工的なあるいはむしろアクロバチックの芸当であって本当の芸術家としてむしろ恥ずべき事ではあるまいか。文学にしても枕詞やかけ言葉を喜ぶような時代は過ぎている。地口《じぐち》や駄洒落《だじゃれ》は床屋以下に流通している時代ではあるまいか。
日本画の生命はこのような低級な芸当にあるとは思われない。近代西洋画が存在の危機に瀕《ひん》した時に唯一の救済策として日本画の空気を採り入れたのは何故であろう。単に眼先を変えるというような浅薄な理由によるだろうか。自分はそうは思わない。日本画には到底科学などのために動揺させられない、却ってあるいは科学を屈服させるだけの堅固な地盤があると思う。何故かと云えば日本画の成立ち組立て方において非常に科学的でそしてむしろ科学以上なところがあるからである。
師匠の真似ばかりしていた古来の職工的日本画家は別問題として、何らかの流派を開いた名画家の作品を見ると、たとえそれが品の悪い題材を取扱った浮世絵のようなものであっても、一口に云って差しつかえのないと思う特徴は、複雑な自然人生の中から何らか普遍的な要素を捉《つか》まえていて、そしてそれを表わすに最も簡単明快な方法を選んでいる事である。例えば光琳《こうりん》の草木|花卉《かき》に対するのでも、歌麿《うたまろ》や写楽《しゃらく》の人物に対するのでもそうである。こういう点で自分が特に面白く思うのは古来の支那画家の絵である。尤も多くはただ写真などで見るばかりで本物に接する事は稀であるが、それだけでも自分は非常な興味を感じさせられる。というのは画家各自の選み出した要素がそれぞれ一種の普遍的な事実あるいは方則のようなものであって、しかも相互の間に何らの矛盾もなければ背違もない。あたかも多様な見方の上に組立てた科学的系統が相併立しているような観がある。現今の物質科学ではこういう自由は許されていない。人間性《アンスロポモルフィズム》というものを出来るだけ除外しようという傾向からすればこれは当然な事であるが、芸術ではこの点は勿論ちがう。おのおのの画家はそれぞれの系統を有し、そのおのおのが事実であり真実でありしかも互いに矛盾しないところが面白くまた尊いところであろう。
筆触や用墨を除いた日本画や南画の根本的の要素は何かという事は六かしい問題であるが、自分はこの要素の材料となるものは前にいったような原始的で同時に科学的な見方と表現法であると思う。しかしそれだけではいまだ野蛮人や子供の絵と異なるところはないが、それと大いに異なるところはこれらの材料から組立てる一種の「|思考の実験《ゲダンケンエキスペリメント》」である。科学者が既知の方則を材料として演繹的《えんえきてき》にこのような実験を行って一つの新しい原理などを構成すると同様に、南画家はまた一種の
次へ
全3ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング