すまでもない。同君のような出発点を有する人の画を論ずるに他人のしかも外国人の画などを引合いに出したくはない。しかし外国人の事と云えば、これを紹介し祖述する事に敏捷《びんしょう》な人々の多い世の中に、津田君の画を紹介しようとする人の少ないのは不思議である。遂に自分のようなものでも差し出口をきかなければならないような事になるのはどういう訳であろう。
ここまで書いて来て振り返ってみると自分ながら随分臆面もなくよくこれだけ書いたものだと思う。しかし自分として云いたいと思う事はまだなかなか十分の一も尽されていない。一番云いたいと思うような主要な第一義の事柄はこれを云い表わすだけの言葉がなかなか見付からない。それでやっと述べ得た事すらも多くは平凡でなければ不得要領であったり独り合点に終っているかもしれない。
青楓《せいふう》論と題しながら遂に一種の頌辞《しょうじ》のようなものになってしまった。しかしあらを捜したり皮肉をいうばかりが批評でもあるまい。少しでも不満を感ずるような点があるくらいならば始めからこのような畑違いのものを書く気にはなり得なかったに相違ない。
津田君の画はまだ要するにXであ
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