るものである。君が往々用いる黄と青の配合までもまた後者を聯想《れんそう》せしめる事がある。このような共通点の存在するのは、根本の出発点において共通なところのある事から考えれば何の不思議もない事ではあるまいか。あるいはまた津田君の寡黙な温和な人格の内部に燃えている強烈な情熱の※[#「火+餡のつくり」、第3水準1−87−49]《ほのお》が、前記の後期印象派画家と似通ったところがあるとすれば猶更《なおさら》の事であろう。
 ある批評家はセザンヌの作品とドストエフスキーの文学との肖似《しょうじ》を論じている。自分も偶然に津田君の画とこの露文豪のある作品との間に共軛点《きょうやくてん》を認めさせられている。殊に彼の『イディオット』の主人公の無技巧な人格の美に対して感じるような快感を津田君の画から味わい得られる。そして真率|朴訥《ぼくとつ》という事から出て来る無限の大勢力の前に虚飾や権謀が意気地なく敗亡する事を痛快に感じないではいられない。
 以上の比較は無論ただ津田君の画のある小さい部分について当《あ》て嵌《はま》るものであって、全体について云えば津田君の画は固《もと》より津田君の画である事は申
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