ったが一つだれにもできぬ不思議な芸をもっていた。それは口を大きくあいて舌を上あごにくっつけておいて舌の下面の両側から唾液を小さな二条の噴水のごとく噴出するという芸当であった。口から外へ十センチメートルほどもこの噴水を飛ばせるのはみごとなものであった。一種のグロテスクな獣性を帯びたこの芸当だけはだれにもまねができなかった。これを噴きかけられるのを恐れて皆逃げ出したものである。
中学時代に相撲が好きで得意であったような友人の大部分は卒業後陸軍へはいったが、それがほとんど残らず日露戦役で戦死してしまって生き残った一人だけが今では中将になっている。海軍へはいった一人は戦死しなかった代わりに酒をのんでけんかをして短剣で人を突いてから辞職して船乗りになり、シンガポールへ行って行くえがわからなくなり、結局なくなったらしい。若くて死んだこれらの仲よしの友だちは永久に記憶の中に若く溌剌として昔ながらの校庭の土俵で今も相撲をとっている。いちばん弱虫で病身でいくじなしであった自分はこの年まで恥をかきかき生き残って恥の上塗りにこんな随筆を書いているのである。
中学の五年のとき、ちょうど日清戦争時分に名古屋
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