いは実際多くの宣伝者自身がこれぐらいの心持ちでめいめいの宣伝をやっているのかもしれない。そうだとすれば始めから問題はなくなる。これまで自分の考えたようないろいろの心配などは畢竟誇大妄想病者《ひっきょうこだいもうそうびょうしゃ》の空中に描く幻影のようなものかもしれない。しかしはたしてそうであれば、現在行なわれているいろいろの宣伝がもう少しちがった色彩を帯びてもいいわけではあるまいか。

 電車の中で考えたのは、あらましこんな事であったように思う。
 とにかく結論としては何も得られなかった。
 その後二三日してまた駿河台下《するがだいした》を歩いた。その時には正午過ぎの「太陽」の強い光がくまなく降りそそいでいた。例の屋根の上に例の仁丹《じんたん》の広告がすすけよごれて見すぼらしく立っていた。白日のもとに見るとあれはいかにも手持ちぶさたな間の抜けたものである。
 あらゆる宣伝を手持ちぶさたにする「太陽」のようなものがもし何かあるとしたら、それはどういうものであろう。こんな事を考えながらぶらぶら神保町《じんぼうちょう》の通りを歩いたのであった。[#地から2字上げ](大正十一年八月、解放)



前へ 次へ
全11ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング