たのか、これに関する筋の立った説明はなかなか簡単でないように思われる。
それはとにかく、私はその待ちおおせて乗った電車の上で、この「宣伝」という文字について取り止めないいろいろの事を考えてみた。しかしその時はそれきりで、何を考えたという事さえ忘れてしまっていたが、その後二三日たったある日の夕方、駿河台下《するがだいした》まで散歩していた時に、とある屋根の上に明滅している仁丹《じんたん》の広告を見るとまた突然この同じ文字が頭の中に照らし出された。あの広告のイルミネーションが、せわしなくまたたき[#「またたき」に傍点]をするたびに色がぱっぱっと変わる、そのように私の頭の中でもいろいろの考えがまたたくように明滅した。
そこから帰る電車の中で、またこのあいだと同じようなまとまりのつかない考えを繰り返した。繰り返している間には、いくらかこのあいだとはちがった向きへも考えが分かれて進んで行った。それで結局は、何も別段得る物はなかったのであるが、でもせっかく考えた事だからと思って、ノートの端に書き止めておいた。その中のおもな事を改めてここに清書しておきたいと思う。
宣伝という文字自身には元来
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