神田を散歩して
寺田寅彦
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)神田《かんだ》を
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)昼|提灯《ちょうちん》を
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#「またたき」に傍点]
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あるきわめて蒸し暑い日の夕方であった。神田《かんだ》を散歩した後に須田町《すだちょう》で電車を待ち合わせながら、見るともなくあの広瀬中佐《ひろせちゅうさ》の銅像を見上げていた時に、不意に、どこからともなく私の頭の中へ「宣伝」という文字が浮き上がって来た。
それはどういうわけであったかよくわからない。その日は特別な「何々デー」というのでもなかったし、途中で宣伝の行列や自動車に出会った覚えもない。おそらく途中の本屋の店先かあるいは電柱のビラ紙かで、ちらと無意識に瞥見《べっけん》したかあるいは思い浮かべたこの文字が、識域のつい下の所に隠れていて、それが、この時急に飛び出して来たのかもしれないと思う。もっともそれにしたところで、広瀬中佐の銅像を見ていたという事が、どういう機縁になってこれが呼び出される手続きになったのか、これに関する筋の立った説明はなかなか簡単でないように思われる。
それはとにかく、私はその待ちおおせて乗った電車の上で、この「宣伝」という文字について取り止めないいろいろの事を考えてみた。しかしその時はそれきりで、何を考えたという事さえ忘れてしまっていたが、その後二三日たったある日の夕方、駿河台下《するがだいした》まで散歩していた時に、とある屋根の上に明滅している仁丹《じんたん》の広告を見るとまた突然この同じ文字が頭の中に照らし出された。あの広告のイルミネーションが、せわしなくまたたき[#「またたき」に傍点]をするたびに色がぱっぱっと変わる、そのように私の頭の中でもいろいろの考えがまたたくように明滅した。
そこから帰る電車の中で、またこのあいだと同じようなまとまりのつかない考えを繰り返した。繰り返している間には、いくらかこのあいだとはちがった向きへも考えが分かれて進んで行った。それで結局は、何も別段得る物はなかったのであるが、でもせっかく考えた事だからと思って、ノートの端に書き止めておいた。その中のおもな事を改めてここに清書しておきたいと思う。
宣伝という文字自身には元来
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