であった。
東京へ出て来て汁粉屋などで食わされた雑煮は馴れないうちは清汁《すましじる》が水っぽくて、自分の頭にへばりついている我家の雑煮とは全く別種の食物としか思われなかったのである。
去年の正月ある人に呼ばれて東京一流の料亭で御馳走になったときに味わった雑煮は粟餅に松露《しょうろ》や蓴菜《じゅんさい》や青菜《あおな》や色々のものを添えた白味噌仕立てのものであったが、これは生れてから以来食った雑煮のうちでおそらく一番上等で美味な雑煮であったろうと思われる。それだのに、それと比べて我家の原始的な雑煮が少しも負けずにうまく食われるから全く不思議なものである。
雑煮の膳には榧実《かやのみ》、勝栗《かちぐり》、小殿原《ことのばら》を盛合わせた土器《かわらけ》の皿をつけるという旧い習慣を近年まで守って来た。小殿原はためしにしゃぶってみたことがあり、勝栗もかじってみたことがあるが榧の実ばかりは五十年間ただ眺めて来ただけである。いつか正月の朝の膳に向かったとき、一体このような見るだけで食わない肴《さかな》が何を意味するかということが家族の間で問題になったことがあった。討論の結果、これは今でこそ
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