ル帽の老人がいろいろ質問を出すけれども、娘の案内者は詳しい事は何も知らないので要領を得ませんでした。これから地下の廊下を十五分も行くと深い井戸があるが見に行きますかという。しかし老人の細君が不賛成を唱えてとうとう見ずに引き返しました。それから画伯デュラーの住居の跡も見ましたが、そこの入場券が富札《とみふだ》になっています。名高い古城の片すみには昔の刑具を陳列した塔があります。色の青い小さい女が説明して歩く。いっしょに見て歩いた学生ふうの男がこの案内者に「お前さんのように毎日朝から晩まで身の毛のよだつような話を繰り返していてそれでなんともありませんか」と意地の悪いことをきくと女はただ苦笑していました。私はその埋め合わせのようなつもりで、絵はがきを少々ばかり買ってやりました。そうして白銅一つやって逃げて来ました。ミュンヘンでは四日泊まりました。ピナコテークの画堂ではムリロやデュラーやベクリンなどを飽くほど見て来ました。それからドレスデンやらエナへ行って後、ワイマールに二時間ばかりとどまって、ゲーテとシラーの家を見ました。ゲーテが死ぬ前に庭の土を取り寄せて皿《さら》へ入れて分析しようとしていたら、急に悪くなったのだそうで、書斎の窓の下の高い書架の上に土を入れた皿が今でも置いてあります。隣の寝室へかつぎ込んだが、寝台の上へ横になることができなくて肱掛椅子《ひじかけいす》にもたれたままだったそうです。椅子《いす》の横の台の上には薬びんと急須《きゅうす》と茶わんとが当時のままに置いてあります。書斎の机でも寝室でも意外に質素なもので驚きました。二階の室々《へやべや》にはいろいろな遺物など並べてありますが、私にはゲーテの実験に使った物理器械や標本などがおもしろうございました。シラーの家はいっそう質素と言うよりはむしろ貧しいくらいでした。ゲーテの家には制服を着けた立派な番人が数人いましたが、シラーのほうには猫背《ねこぜ》の女がただ一人番していました。裏庭の向こう側の窓はもうよその家で、職人が何か細工をしていたようです。シラー町の突き当たりの角《かど》は大きな当世ふうのカッフェーで、ガラス窓の中から二十世紀の男女が、通りかかった毛色の変わった私を珍しそうに見物していました。町も辻《つじ》も落ち葉が散り敷いて、古い煉瓦《れんが》の壁には血の色をした蔓《つた》がからみ、あたたかい日光は宮城
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