いへん喜んで迎えてくれ、自分の馬車にのせて町じゅうを案内してくれました。昼飯をよばれてから後にその広い所有地を見て歩きました。この人の細君が私どもの論文を仏訳してここの学術雑誌に載せてくれたのだそうです。ここはもうフランスの国境近くで、屋敷のベランダから牧場越しに国境の森が見え、またヴォルテールの住まっていたという家も見えます。毛氈《もうせん》のような草原に二百年もたった柏《かしわ》の木や、百年余の栗《くり》の木がぽつぽつ並んで、その間をうねった小道が通っています。地所の片すみに地中から空気を吹き出したり吸い込んだりする井戸があって、そこでその理屈を説明して聞かせました。低気圧が来る時には噴出が盛んになって麦藁帽《むぎわらぼう》くらい噴《ふ》き上げるなどと話しました。それから小作人の住宅や牛小屋、豚小屋、糞堆《ふんたい》まで見て歩きました。小作人らに一々アローと声をかけて、一言二言話していました。農家の建て方など古い昔のままだそうです。
屋敷の入り口から玄関までは橡《とち》の並み木がつづいています。その両わきはりんご畑でちょうどりんごが赤く熟していました。書斎にはローマで買って来たという大理石の半身像が幾つもある。サラサン氏は一々その頭をなでその顔をさすって見せるのでした。その中に一つ頭の大きな少年の像があってたいへんにいい顔をしている。先生の一番目の嬢さんがまだ子供の時分この半身像にすっかりラヴしてしまって、おとうさんの椅子《いす》を踏み台にしては石像に接吻《せっぷん》したそうです。そのさまを油絵にかかした額が客間にかかっていました。霧があって小雨が降って、誠に静かな日でした。
ゼネヴからベルン、チューリヒ、ルツェルンなどを見て回りました。ルツェルンには戦争と平和の博物館というのがあって、日露戦争の部には俗悪な錦絵《にしきえ》がたくさん陳列してあったので少しいやになりました。至るところの谷や斜面には牧場が連なり、りんごが実って、美しい国だと思いました。
それからストラスブルクを見て、ニュルンベルクへ参りました。中世のドイツを見るような気がしておもしろうございました。市庁《ラートハウス》の床下の囚獄を見た時は、若い娘さんがランプをさげて案内してくれました。罪人は藁《わら》も何もない板の寝床にねかされて、パンも水ももらえなかったと話しました。いっしょに行ったチロ
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