もした時に叱りつける声はどうしてこの細いかよわい咽《のど》から出るのかと思うようで、何か御使いでも云いつけらるると飛鳥のように飛んで出て疾風のごとく帰って来る。こう云う性質のためであるか、雪ちゃんの友達は多く自分より年下の男の子であった。隣家に同年輩の娘子供はずいぶんないでもなかったのにこれらとはとにかく遊ばなかった。何故だろうと考えてみた事もあった。隣は多く小官吏であったのである。
 ある日の事、昼の休みに帰って来て二階へ上がろうとした時、階段に凭《もた》れてうつふしになっていた。「ドーシタノ。」聞いたが返事がなかったからそのまま駆上がると主婦が昼飯を持って上がって来た。雪ちゃんもついて来て入り口の柱へもたれて浮かぬ顔でボンヤリしている。眼のふちが少し赤い。ちょうど机の上に昨夕買って来た『新声《しんせい》』の卯花衣《うのはなごろも》があったから、「雪チャン。これを御覧。綺麗な画《え》があるよ」と云うたら返事はなくて悲しげに微笑した。「ドーモまだ孩児《こども》で……」と主婦が云った。この悲しげな微笑はいまだに忘れる事が出来ない。
 またある日の事であった。隣室の医科の男が雪ちゃんに命じ
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