静岡地震被害見学記
寺田寅彦
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)久能山《くのうざん》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)南東|久能山《くのうざん》の
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から1字上げ](昭和十年九月『婦人之友』)
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昭和十年七月十一日午後五時二十五分頃、本州中部地方関東地方から近畿地方東半部へかけてかなりな地震が感ぜられた。静岡の南東|久能山《くのうざん》の麓をめぐる二、三の村落や清水市の一部では相当|潰家《つぶれや》もあり人死《ひとじに》もあった。しかし破壊的地震としては極めて局部的なものであって、先達《せんだっ》ての台湾地震などとは比較にならないほど小規模なものであった。
新聞では例によって話が大きく伝えられたようである。新聞編輯者は事実の客観的真相を忠実に伝えるというよりも読者のために「感じを出す」ことの方により多く熱心である。それで自然損害の一番ひどい局部だけを捜し歩いて、その写真を大きく紙面一杯に並べ立てるから、読者の受ける印象ではあたかも静岡全市並びに附近一帯が全部丸潰れになったような風に漠然と感ぜられるのである。このように、読者を欺すという悪意は少しもなくて、しかも結果において読者を欺すのが新聞のテクニックなのである。
七月十四日の朝東京駅発姫路行に乗って被害の様子を見に行った。
三島辺まで来ても一向どこにも強震などあったらしい様子は見えない。静岡が丸潰れになるほどなら三島あたりでもこれほど無事なはずがなさそうに思われた。
三島から青年団員が大勢乗込んだ。ショベルや鍬《くわ》を提《さ》げた人も交じっている。静岡の復旧工事の応援に出かけるらしい。三等が満員になったので団員の一部は二等客車へどやどや雪崩《なだ》れ込んだ。この直接行動のおかげで非常時気分がはじめて少しばかり感ぜられた。こうした場合の群集心理の色々の相が観察されて面白かった。例えば大勢の中にきっと一人くらいは「豪傑」がいて、わざと傍若無人に振舞って仲間や傍観者を笑わせたりはらはらさせるものである。
富士駅附近へ来ると極めて稀に棟瓦《むながわら》の一、二枚くらいこぼれ落ちているのが見えた。興津《おきつ》まで来ても大体その程度らしい。なんだかひどく欺されているような気がした。
清水で下車して研究所の仲間と一緒になり、新聞で真先に紹介された岸壁破壊の跡を見に行った。途中ところどころ家の柱のゆがんだのや壁の落ちたのが眼についた。木造二階家の玄関だけを石造にしたようなのが、木造部は平気であるのに、それにただそっともたせかけて建てた石造の部分が滅茶滅茶に毀《こわ》れ落ちていた。これははじめからちょっとした地震で、必ず毀れ落ちるように出来ているのである。
岸壁が海の方へせり出して、その内側が陥没したので、そこに建て連ねた大倉庫の片側の柱が脚元を払われて傾いてしまっている。この岸壁も、よく見ると、ありふれた程度の強震でこの通りに毀れなければならないような風の設計にはじめから出来ているように見える。設計者が日本に地震という現象のあることをつい忘れていたか、それとも設計を註文した資本家が経済上の都合で、強い地震の来るまでは安全という設計で満足したのかもしれない。地震が少し早く来過ぎたのかもしれない。
この岸壁だけを見ていると、実際|天柱《てんちゅう》は摧《くだ》け地軸も折れたかという感じが出るが、ここから半町とは離れない在来の地盤に建てたと思われる家は少しも傾いてさえいないのである。天然は実に正直なものである。
久能山の上り口の右手にある寺の門が少し傾き曲り境内の石燈籠が倒れていた。寺の堂内には年取った婦人が大勢集まって合唱をしていた。慌ただしい復旧工事の際|足手纏《あしてまと》いで邪魔になるお婆さん達が時を殺すためにここに寄っているのかという想像をしてみたが事実は分らない。
久能山麓を海岸に沿うて南へ行くに従って損害が急に眼立って来た。庇《ひさし》が波形に曲ったり垂れ落ちかかったり、障子紙が一とこま一とこま申合わせたように同じ形に裂けたり、石垣の一番はしっこが口を開いたりするという程度からだんだんひどくなって半潰家、潰家が見え出して来た。屋根が軽くて骨組の丈夫な家は土台の上を横に辷《すべ》り出していた。そうした損害の最もひどい部分が細長い帯状になってしばらく続くのである。どの家もどの家もみんな同じように大体東向きに傾きまたずれているのを見ると揺れ方が簡単であった事が分る。関東地震などでは、とてもこんな簡単な現象は見られなかった。
とある横町をちょっと山の方へ曲り込んでみると、道に向って倒れかかりそうになったある家に支柱をして、その支柱の脚元を固める
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