伏せしているのである。
静岡へのバスは吾々一行が乗ったので満員になった。途中で待っていたお客に対して運転手が一々丁寧に、どうも気の毒だが御覧の通り一杯だからと云って、本当に気の毒そうに詫言を云っている。東京などでは見られない図である。多分それらの御客と運転手とはお互いに「人」として知合っているせいであろう。東京では運転手は器械の一部であり、乗客は荷重であるに過ぎない、従って詫言などはおよそ無用な勢力の浪費である。
この辺の植物景観が関東平野のそれと著しくちがうのが眼につく。民家の垣根に槙《まき》を植えたのが多く、東京辺なら椎を植える処に楠かと思われる樹が見られたりした。茶畑というものも独特な「感覚」のあるものである。あの蒲鉾《かまぼこ》なりに並んだ茶の樹の丸く膨らんだ頭を手で撫《な》でて通りたいような誘惑を感じる。
静岡へ着いて見ると、全滅したはずの市街は一見したところ何事もなかったように見える。停車場前の百貨店の食堂の窓から駿河湾の眺望と涼風を享楽しながら食事をしている市民達の顔にも非常時らしい緊張は見られなかった。屋上から見渡すと、なるほど所々に棟瓦の揺り落されたのが指摘された。
停車場近くの神社で花崗石《みかげいし》の石の鳥居が両方の柱とも見事に折れて、その折れ口が同じ傾斜角度を示して、同じ向きに折れていて、おまけに二つの折れ目の断面がほぼ同平面に近かった。これが一行の学者達の問題になった。天然の実験室でなければこんな高価な「実験」はめったに出来ないから、貧乏な学者にとって、こうしたデータは絶好の研究資料になるのである。
同じ社内にある小さい石の鳥居が無難である。この石は何だろうと云っていたら、居合わせた土地のおじさんが「これは伊豆の六方石《ろっぽうせき》ですよ」と教えてくれた。なるほど玄武岩の天然の六方柱をつかったものである。天然の作ったものの強い一例かもしれない。
御濠《おほり》の石垣が少しくずれ、その対岸の道路の崖もくずれている。人工物の弱い例である。しかし崖に樹《た》った電柱の処で崩壊の伝播《でんぱ》が喰い止められているように見える。理由はまだよく分らないが、ことによるとこれは人工物の弱さを人工で補強することの出来る一例ではないかと思われた。両岸の崩壊箇所が向かい合っているのもやはり意味があるらしい。
県庁の入口に立っている煉瓦と石を積んだ門柱四本のうち中央の二本の頭が折れて落ち砕けている。落ちている破片の量から見ると、どうもこの二本は両脇の二本よりだいぶ高かったらしい。門番に聞くと果してそうであった。
新築の市役所の前に青年団と見える一隊が整列して、誰かが訓示でもしているらしかったが、やがて一同わあっと歓声を揚げてトラックに乗込み風のごとくどこかへ行ってしまった。
三島の青年団によって喚び起された自分の今日の地震気分は、この静岡市役所前の青年団の歓声によって終末を告げた。帰りの汽車で陰暦十四日の月を眺めながら一行の若い元気な学者達と地球と人間とに関する雑談に汽車の東京に近づくのを忘れていた。「静岡」大震災見学の非科学的随筆記録を忘れぬうちに書きとめておくことにした。[#地から1字上げ](昭和十年九月『婦人之友』)
底本:「寺田寅彦全集 第七巻」岩波書店
1997(平成9)年6月5日発行
底本の親本:「寺田寅彦全集 文学篇」岩波書店
1985(昭和60)年版
初出:「婦人の友」
1935年(昭和10年)9月1日
※初出時の署名は「吉村冬彦」。
※単行本「橡の実」に収録。
入力:砂場清隆
校正:多羅尾伴内
2003年10月23日作成
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