知の通りである。『八犬伝』中の竜に関するレクチュアー、『胡蝶物語』の中の酒茶論等と例を挙げるまでもないことである。しかるに馬琴の知識はその主要なるものは全部机の上で書物から得たものである。事柄の内容のみならずその文章の字句までも、古典や雑書にその典拠を求むれば一行一行に枚挙に暇《いとま》がないであろうと思われる。
勿論、馬琴自身のオリジナルな観察も少なくはないであろうが、全体として見るときは彼の著書には強烈な「書庫の匂い」がある。その結果として、あらゆる描写記載にリアルな、生ま生ましい実感を求めることが困難である。馬琴自身の自嘲の辞と思われる文句が『胡蝶物語』にある。「そなたのやうな生物しり。……。唐山にはかういふ故事がある。……。和漢の書を引て瞽家《こけ》を威《おど》し。しつたぶりが一生の疵《きず》になつて……」というのである。
西鶴の知識の種類はよほど変っている。稀に書物からの知識もあるが、それはいかにも附焼刃のようで直接の読書によるものと思われないのが多い。彼の大多数の知識は主として耳から這入《はい》った耳学問と、そうして、彼自身の眼からはいった観察のノートに拠《よ》るものと
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