が人魚を射とめたというのを意地悪の男がそれを偽りだという。それを第三者が批評して「貴殿広き世界を三百石の屋敷のうちに見らるゝ故なり。山海万里のうちに異風なる生類《しょうるい》の有まじき事に非ず」と云ったとしてある。その他にも『永代蔵』には「一生|秤《はかり》の皿の中をまはり広き世界をしらぬ人こそ口惜《くちおし》けれ」とか「世界の広き事思ひしられぬ」とか「智恵の海広く」とか云っている。天晴《あっぱれ》天下の物知り顔をしているようで今日から見れば可笑《おか》しいかもしれないが、彼のこの心懸けは決して悪いことではないのである。
 可能性を許容するまでは科学的であるが、それだけでは科学者とは云われない。進んでその実証を求めるのが本当の科学者の道であろうが、それまでを元禄の西鶴に求めるのはいささか無理であろう。
 ともかくも西鶴の知識慾の旺盛であった事は上述の諸項からも知られるが、しかし西鶴の知識慾の向けられた対象を、例えば馬琴のそれと比較してみるとそこに興味ある差違を見出すことが出来るであろう。
 江戸時代随一の物知り男|曲亭馬琴《きょくていばきん》の博覧強記とその知識の振り廻わし方は読者の周
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