世観といったようなものが織り込まれている。
これらは、西鶴一流とは云うものの、当時の日本人、ことに町人の間に瀰漫《びまん》していて、しかも意識されてはいなかった潜在思想を、西鶴の冷静な科学者的な眼光で観破し摘出し大胆に日光に曝したものと見ることは出来よう。もしもそうでなかったらいかに彼の名文をもってしても、書肆《しょし》の十露盤《そろばん》に大きな狂いを生じたであろうと思われる。
要するに西鶴が冷静|不羈《ふき》な自分自身の眼で事物の真相を洞察し、実証のない存在を蹴飛ばして眼前現存の事実の上に立って世界の縮図を書き上げようとしている点が、ある意味で科学的と云っても大した不都合はないと思われる。
科学者にも色々の型がある。馬琴型の立派な科学者も決して稀ではない。いわゆるアカデミックな学界の権威にはこの型が多い。しかしまた一方で西鶴型の優れた科学者も時に出現し、そうしてそういう学者の中に往々劃期的な大発見、破天荒の大理論を仕遂げる人が生まれるようである。科学全体としての飛躍的な進歩はただ後者によって成さるると云っても過言ではない。
西鶴を生んだ日本に、西鶴型の科学者の出現を望むの
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