はないと思われるのである。
恋愛に関する西鶴の考えにもかなり独自なものがあり、伝統的な性の道徳に批判的の眼を向けていたように思われる。その一例とも見られるのは、『諸国咄』の中の「忍び扇の長歌《ながうた》」に、ある高貴な姫君と身分の低い男との恋愛事件が暴露して男は即座に成敗され、姫には自害を勧めると、姫は断然その勧告をはねつけて一流の「不義論」を陳述したという話がある。その姫の言葉は「我《われ》命をおしむにはあらねども、身の上に不義はなし。人間と生を請て、女の男只一人持事、是作法也。あの者|下/″\《したじた》をおもふは是縁の道也。おの/\世の不義といふ事をしらずや。夫ある女の、外に男を思ひ、または死別れて、後夫《ごふ》を求るとて、不義とは申べし。男なき女の、一生に一人の男を、不義とは申されまじ。また下/″\を取あげ、縁をくみし事は、むかしよりためし有。我すこしも不義にはあらず、云々」というのである。現代ならかなり保守的な女学者でも云いそうなことであるが、ともかくもこれは西鶴自身の一種の自由恋愛論を姫君の口を借りて言明したものであることには疑いは無いであろう。それは当代にあってはずいぶ
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