い。
『武家義理物語』の三の一に「すこしの鞘《さや》とがめなどいひつのり、無用の喧嘩を取むすび、或は相手を切りふせ、首尾よく立のくを、侍の本意のやうに沙汰せしが、是ひとつと道ならず。子細は、其主人、自然の役に立《たて》ぬべしために、其身相応の知行《ちぎょう》をあたへ置れしに、此恩は外にないし、自分の事に、身を捨るは、天理にそむく大悪人、いか程の手柄すればとて、是を高名とはいひ難し」とはっきりした言葉で本末の取りちがえを非難している。してみると、これらの武家物は決してかくのごとき末世的武士道を礼讃し奨励するつもりではなく、反対にその馬鹿らしさを強調し諷諌するような心持が多分にあったのではないかとも想像される。しかしまた、西鶴のような頭のいい観察者が、真の武士道の中の美点をも認めることが出来なかったとは想像されない。そうした例も実際捜せばところどころには散在するのである。
 それはいずれにしても、武士道というものに対しても西鶴が独自の見解をもっていて、その不合理と矛盾から起る弊害を指摘する心持があったであろうという想像は、マテリアリストとしての彼の全体から判断し推測してそれほど無稽なもので
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