れには、愚にもつかない空虚な考えをいかめしい数式で武装したようなのもある、そのわけが読めるような気がした。
しかしなんといっても、あらゆる言語のうちで、数学の言語のように、一度つかまえた糸口をどこまでもどこまでも離さないで思考の筋道を続けうる言語はない。普通の言語はある所までは続いていても、犬に追われたうさぎの足跡のように、時々連絡が怪しくなる。思うにこれは普通の言語の発達がいまだ幼稚なせいかもしれない。ギリシア哲学盛期の言語に比べて二十世紀の思想界の言語はこういう意味では、ほんの少ししか進歩していないかもしれない。しかし現在よりもっと進歩し得ないという理由は考えられない。人間の思考の運びを数学の計算の運びのように間違いなくしうるようにできるものかどうかはわかりかねる。しかし、少なくともそれに近づくようにわれわれの言語、というかあるいはむしろ思考の方式を発育させる事はできるかもしれない。もっともそうなるほうがいいか、ならないほうがいいか、これはまたもちろん別問題である。
私が「数学と語学」という題でこの原稿を書き始めた時は、こういうむつかしい問題にかかり合う考えはなかった。ただ語学
前へ
次へ
全8ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング