胞の中へ追い込んだ。そしてさらにその中に踏み込んで染色体の内部に親と子の生命の連鎖をつかもうとして骨を折っている。物理学者や化学者は物質を磨《す》り砕いて原子の内部に運転する電子の系統を探っている。そうして同一物質の原子の中にある或《あ》る「個性」の胚子《はいし》を認めんとしているものもある。化学的の分析と合成は次第に精微をきわめて驚くべき複雑な分子や膠質粒《こうしつりゅう》が試験管の中で自由にされている。最も複雑な分子と細胞内の微粒との距離ははなはだ近そうに見える。しかしその距離は全く吾人《ごじん》現在の知識で想像し得られないものである。山の両側から掘って行くトンネルがだんだん互いに近づいて最後のつるはしの一撃でぽこりと相通ずるような日がいつ来るか全く見当がつかない。あるいはそういう日は来ないかもしれない。しかし科学者の多くはそれを目あてに不休の努力を続けている。もしそれが成効して生命の物理的説明がついたらどうであろう。
 科学というものを知らずに毛ぎらいする人はそういう日をのろうかもしれない。しかし生命の不思議がほんとうに味わわれるのはその日からであろう。生命の物理的説明とは生命を
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