却というものがなかったら生きていられないと詩人は叫ぶ。
もし記憶の衰退率がどうにかなって、時の尺度が狂ったために植物の生長や運動が私の見た活動写真のように見えだしたらどうであろう。春先の植物界はどんなに恐ろしく物狂わしいものであろう。考えただけでも気が違いそうである。「青い鳥」の森の場面ぐらいの事ではあるまい。
五
近年急に年を取ったせいか毎年春の来るのが待ち遠しくなった。何よりも気温の高くなるのが、ありがたいのである。しかしいったいには年じゅうの時候のうちでは春はあまり自分の性に合わないほうである。なぜかと言えば第一胃が悪くなる、頭が重くなる。こういう点で同様な人はずいぶん多いらしい。それよりもいちばんいやな事は春が来るとこの自分が「悪人」になるからである。
冬の間はからだじゅうの乏しい血液がからだの内部のほうへ集合しているような気がする。それで手足の指などは自分のからだの一部とは思われないように冷え凍えてこちこちしている代わりに頭の中などはいいかげんにあたたかいものがよい程度に充実しているような気がしている。ところが桜が咲く時分になるとこの血液がからだの外郭
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